
――それは「騙し」だからではない。むしろ、あまりにも“よくできている”からだ。
私は長く遊んできた。
パチンコにボーナスもギフトも、派手なバナーもなかった時代を覚えているくらいには。
店に入れば、理由は一つ。打つか、打たないか。それだけだった。
インターネットが広まり、オンラインカジノに「ボーナス」という言葉が溢れ始めたとき、正直に言うと、胸は高鳴らなかった。
代わりに感じたのは、静かな警戒心だった。
老いたパチンコ打ちの覚え書き

――それは「騙し」だからではない。むしろ、あまりにも“よくできている”からだ。
私は長く遊んできた。
パチンコにボーナスもギフトも、派手なバナーもなかった時代を覚えているくらいには。
店に入れば、理由は一つ。打つか、打たないか。それだけだった。
インターネットが広まり、オンラインカジノに「ボーナス」という言葉が溢れ始めたとき、正直に言うと、胸は高鳴らなかった。
代わりに感じたのは、静かな警戒心だった。

私が初めてオンライン・パチンコを打った日のことは、今でもよく覚えています。
2000年代の初め。回線は遅く、画面は素っ気なく、演出も控えめでした。
そのとき思ったのは、「これは面白い。でも、良くなったわけじゃない。ただ“違う”だけだな」という感想でした。
それから二十年以上が経ち、オンラインは速く、派手で、いつでも手の中にあります。
一方で、実店舗のパチンコホールは少し静かになり、場所によっては空席が目立つようになりました。
「結局、どっちがいいんですか?」と聞かれるたび、私は必ず少し黙ります。
なぜなら、これは“優劣”の話ではなく、「自分が何を求めているか」の話だからです。

最近、ふと思うことがあります。
今のパチンコは、もう「音がしない」のではないか、と。
光ってはいます。
派手に点滅し、デジタルの声で歌いもします。
けれど――響かない。
私が初めてパチンコ玉を打ったのは、1970年代の大阪でした。
あの頃の台は、ほとんどが機械式。
目を閉じていても、ホールの状態が分かったものです。