――そして、なぜ今の私は昔よりもずっと静かに運を見ているのか

二十歳のころ、私は運を「出来事」だと思っていた。
四十歳のころ、運は「技術」だと信じていた。
そして七十歳になった今、私はこう考えている。運とは、許可もなく現れては去っていく「状態」なのだ、と。
老いたパチンコ打ちの覚え書き
――そして、なぜ今の私は昔よりもずっと静かに運を見ているのか

二十歳のころ、私は運を「出来事」だと思っていた。
四十歳のころ、運は「技術」だと信じていた。
そして七十歳になった今、私はこう考えている。運とは、許可もなく現れては去っていく「状態」なのだ、と。
――そして、その気づきがどんな戦略よりも多くを守ってくれた理由

若いころの私は、「今日はツイていない」という言葉を言い訳だと思っていました。負けた後に、自分の判断ミスを認めたくない人が使う言葉だと。
けれど七十歳になった今、考えは変わりました。
「自分の日ではない」というのは結果ではありません。状態です。しかも、大きな損失が出る前に気づくことができるものです。見るべき場所さえ間違えなければ。

――それは「騙し」だからではない。むしろ、あまりにも“よくできている”からだ。
私は長く遊んできた。
パチンコにボーナスもギフトも、派手なバナーもなかった時代を覚えているくらいには。
店に入れば、理由は一つ。打つか、打たないか。それだけだった。
インターネットが広まり、オンラインカジノに「ボーナス」という言葉が溢れ始めたとき、正直に言うと、胸は高鳴らなかった。
代わりに感じたのは、静かな警戒心だった。