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今日は「自分の日ではない」とわかる瞬間

――そして、その気づきがどんな戦略よりも多くを守ってくれた理由

今日は「自分の日ではない」とわかる瞬間

若いころの私は、「今日はツイていない」なんて言葉、正直ちょっと嫌いでした。負けたあとに言い訳として使うものだと思っていたんです。自分の判断ミスを認めたくない人が、最後に逃げ込む場所みたいな。

でもね、七十歳になった今は、見方がだいぶ変わりました。

「自分の日ではない」って、結果の話じゃないんですよ。状態なんです。しかも面白いことに、大きく崩れる前に、ちゃんとサインは出ている。見方さえ間違えなければ、気づけるものです。

私は占いとか、縁起のいい悪いっていうのは信じません。日付や数字に意味を持たせるタイプでもないです。ここで言っている「自分の日じゃない」は、単純に“自分とゲームのリズムがズレている状態”のこと。

台は同じですし、ルールも変わらない。
違っているのは、こっち側なんですよね。

最初のサイン:急いでいる(急ぐ理由がないのに)

まだ座ってもいないのに、妙に焦っている。
早く台を決めたいし、早く回したいし、とにかく結果を見たい。

昔、大阪・難波のパチンコ店で打っていた頃(1970年代ですね)、この感覚、よく無視していました。煙草の煙が充満していて、ジャズが流れていて、玉の音がずっと鳴っている。あの空気の中だと、「勢いこそ正義」みたいに思っていたんです。

でも今振り返ると、あの“急ぎ”って、ほとんどの場合ただの緊張なんですよね。落ち着かないから、とにかく何かを始めたくなる。

つまり、遊びに来ているんじゃなくて、何かから逃げに来ている状態。

こういうときに打つと、だいたい余計なベットが増えます。
私はこのサインに気づいたら、その日はやめるか、やるとしてもかなり短く切り上げます。

二つ目のサイン:台選びがどうでもよくなる

これは、かなり危ないです。

パチンコって、無関心と相性が悪いんですよ。
どこに座るか、周りの流れ、台のクセ…そういうところに興味がなくなった時点で、もう注意力は離れています。

興味って感情っぽく聞こえますけど、実際は道具なんですよね。
それがなくなると、残るのはただの作業。

作業になったプレイは、長い目で見ると確実に負けに近づきます。

1980年代にマカオでバカラを打っていたとき、ハイローラーたちをよく観察していました。見た目は派手でも、台への集中は驚くほど静かなんです。逆に、無関心で打っている人は、例外なく長続きしませんでした。

三つ目のサイン:結果を先に考え始める

これも分かりやすいサインです。

打つ前から勝ちを想像している。
頭の中で「ここで取り返す」とか、「今日はプラスで終われる」とか計算し始める。

その時点で、もう“今”にいないんですよね。

いいプレイは、今にしかありません。
悪いプレイは、だいたい未来を見ているときに出てきます。

ブラックジャックでも同じです。確率って、「この一手」にしか意味がない。未来を取りにいこうとすると、判断がどうしても濁るんです。

四つ目のサイン:身体が先に知らせる

これは年を取ってから、ようやく分かるようになりました。

呼吸が浅い。
肩が妙に固い。
手の動きが少し荒くなる。

若いころは「気合いが入ってる証拠」くらいに思っていましたが、今は逆ですね。

ストレス状態だと、判断力に関わる部分の働きが落ちる、という話もあります。難しいことはさておき、体が緊張しているときは、決断の質も落ちている。それで十分です。

体は、わりと正直です。

五つ目のサイン:小さなことに苛立つ

音が気になる。
隣の人が気になる。
オンラインなら、UIの細かいところがやたら目につく。

こういうときって、もうゲームを見ていないんですよね。
雑音と戦い始めている。

苛立ちって、視野が狭くなっているサインです。

それに、忍耐力には限界があります。気合いでどうにかなるものでもない。

六つ目のサイン:自分のルールを破る

長くやっていると、自分なりのルールって自然にできてきます。

・疲れている日は打たない
・急にベットを上げない
・追わない

シンプルなものです。

でも、これを破り始めたら危ない。
その時点で、もう心のどこかで「やる」と決めているんですよ。理由はあとからくっついてくる。

心理学的には名前があるらしいですが、まあ正直どうでもいいです。現場で何度も見てきた現象です。

重要なのは、これらが“大きく負ける前”に起こること

ここ、けっこう大事です。

「自分の日じゃない」って、負けた日のことじゃありません。
自分の実力より下で打っている日のことです。

私はゼロで帰った日もありますし、小さく負けて帰った日もあります。
でも、不思議と穏やかなんですよね。

そういう日は、勝ちだと思っています。

昔はなぜ気づけなかったのか

単純に、見る場所を間違えていました。

数字ばかり見ていたんです。
収支、残高、結果。

でも本当に見るべきだったのは、

テンポ
集中力
状態

このあたりでした。

ゲームって、ちゃんとこちらを映してくれます。
ただ、こっちが正直に見ようとしないと、何も見えないですが。

「今日は自分の日ではない」と気づいたら

大げさなことはしません。

ゲームを閉じて、席を立つ。
外に出て、淀川を少し歩く。
家に帰って、お茶を飲む。
盆栽を眺める。

そんな感じです。

後悔はしません。「もう少しやっていれば」は考えない。

合わない日は、何回転しても合わないですから。

本当の“良い日”とは

勝った日じゃないです。

静かに打てた日。
判断がクリアだった日。
ちゃんとやめどきを守れた日。

たとえプラスでも、それがなければ、いい日とは言えない気がします。

結びに

「今日は自分の日じゃない」と認めるのは、別にネガティブなことじゃありません。

むしろ、自分をちゃんと扱っているということだと思います。

早く立てる人は、崩れるのも遅い。

長いこと打ってきました。
大阪の古いホールも、マカオのきらびやかなカジノも、最近はオンラインも。

で、最後に残ったのは、これだけです。

「今日は引くのが、一番うまい勝ち方だ」