Skip to content

50年、カジノと向き合ってわかった「運」のこと

――そして、なぜ今の私は昔よりもずっと静かに運を見ているのか

50年、カジノと向き合ってわかった「運」のこと

二十歳のころ、運って「何かが起きること」だと思ってたんだよね。
四十になるころには、「これは技術でどうにかできる」と本気で考えてた。

で、七十になった今はどうかというと――ちょっと違う結論に落ち着いてる。
運って、頼んでもいないのに勝手に来て、勝手にいなくなる「状態」みたいなものなんじゃないか、って。

1970年代の大阪・難波で、パチンコにどっぷりハマってた。そこから神戸のホールを転々とする生活。煙草の匂いとか、鉄球の音とか、あの独特の振動ね。
若いころは本気で「音で流れが読める」とか思ってたから、今思うとちょっと笑える。

その流れで、裏の部屋でやる賭け麻雀も覚えた。ああいう場って不思議でさ、人のクセがよく見えるんだよね。あの時間で、「相手を見る」って感覚はだいぶ鍛えられたと思う。

80〜90年代になると、マカオにも通うようになった。バカラとかブラックジャック。
ハイローラーたちの、あの静かな熱気を見てて気づいたことがある。

運よりも、規律のほうが長く残る。

これはあとになって効いてきた。

2000年代に入って、インターネットが出てきて、今度はオンラインカジノ。
年を取っても、人って結局、新しい刺激を探すみたいだね。

こうして振り返ると、50年でいろんな運を見てきた。
派手なやつもあれば、妙に静かなやつもある。
急に来ることもあれば、「来た」と思った瞬間に消えることもある。

で、運を一言で言うなら――「幸運」じゃない。
どっちかというと、「噛み合わなさ」に近い気がしてる。

運は、追いかけられるのを嫌う

これがね、最初に痛い目を見たポイント。

若いころは単純で、
「流れが来たらもっと取れ」
「流れが切れたら取り返せ」
って考えてた。

でもこれ、両方とも危ない。

急いでも運は早くならないし、
意地になっても戻ってこない。

しかも厄介なのが、「今がチャンスだ」って思った瞬間にスッと消えることが多い。

実際、自分の場合は「ツイてない日」より、「ツキすぎた日」にやられてる。

心理学だと“ホットハンド錯覚”って言うらしいね。連勝すると、自分が上手くなった気がするやつ。
でも現実はシンプルで、確率は記憶なんて持ってない。

運は、悪い判断を正しくはしてくれない

ここ、けっこう誤解されがち。

間違った判断でも、たまたま勝つことはある。
そうすると、人は「やっぱり正しかった」と思う。

でも実際は違う。
運は説明してくれない。ただ、その場を通しただけ。

で、悪い判断で勝つと――ほぼ確実に繰り返す。
次は同じようにいくとは限らないのにね。

自分も何度もこれでやられてる。授業料も、まあ安くはなかった。

運は一定じゃない。でも「状態」は整えられる

年を取ってから気づいたんだけど、
運って、あまり考えてないときのほうが来やすい気がする。

落ち着いてるときとか、
急いでないときとか、
結果をあまり期待してないとき。

そういうときって、プレーが自然に流れるんだよね。判断もクリアになるし、「勝てるかも」くらいの距離感でいられる。

逆に、「来い」と思い始めると、自分でバランス崩す。

「今日はツイている」という幻想

「今日は自分の日だ」って、誰でも一度は言うと思う。自分も言ってた。

でもね、50年やってきて思うのは、
良い日っていうのは「勝った日」じゃない。

自分で自分の邪魔をしなかった日。

これに尽きる。

正しくやって負ける日もあるし、
間違って勝つ日もある。

違いは何かっていうと、
ちゃんとやった日は、スッと帰れるんだよ。

「ツイてる日」はね、もっとやりたくなる。
そこが危ない。

年齢とともに、運は主役じゃなくなる

年を取ると、運がなくなるわけじゃない。
ただ、中心にはいなくなる。

代わりに大事になってくるのは、

・頭がクリアであること
・自分のリズムを崩さないこと
・後悔なく席を立てること

このあたり。

不思議なんだけど、運って、求めてない人のところに静かに来る。

昔ほど大きく勝つことは減ったけど、その分、失うことも減った。
で、結果的に気分のいい日が増えてる。

妻にはよく言われるよ。
「年金だけはちゃんと守ってね」って。

45年以上一緒にいる人の言葉って、どんな攻略法より現実的だったりする。

いちばん危ない運の形

自分が一番警戒してるのは、「状態が悪いのに勝つ」こと。

疲れてるときとか、
イライラしてるときとか、
集中できてないとき。

そういうときに勝つと、「このままでもいける」と思ってしまう。

でも違うんだよね。
それはただの先延ばし。

それでも、運が教えてくれたこと

戦略でもなくて、
計算でもなくて、
自信でもない。

執着しないこと。

来たら受け取る。
去るなら、そのまま行かせる。

運って、持ち物じゃないから。

いま、私は運をどう見ているか

かなり静かに見てる。

待たないし、呼ばない。
来ても大げさに喜ばない。

来たら丁寧にやるし、
来なくても普通に帰る。

はっきり言えるのは一つだけ。

いいゲームになるかどうかは、運じゃない。
やめどきを知ってるかどうか。

最後に

50年やってきて思うのは、
運は頼るものでもないし、怖がるものでもない。

ただ、使い切ろうとしない人のところに、なんとなく残る。

変な話だけど、これが一番しっくり来てる。

今も朝は淀川を歩いて、盆栽に水をやって、古いジャズを流す。
あの「何も起きてない時間」が、一番好きかもしれない。

で、ときどきブログを書いて、最後にこう締める。

「今日は、ちゃんとやめられた。それが一番の勝ち。」