私はこれまで、数えきれないほどの「勝てるシステム」を見てきました。
麻雀でも、ブラックジャックでも、バカラでも、そしてパチンコでも。
紙の上でも。人の話の中でも。インターネットの奥でも。
そして正直に言えば——
その中には「実際にうまくいったもの」もありました。
時には、驚くほど長く。
だからこそ、私はそれらを信用しないのです。

老いたパチンコ打ちの覚え書き
私はこれまで、数えきれないほどの「勝てるシステム」を見てきました。
麻雀でも、ブラックジャックでも、バカラでも、そしてパチンコでも。
紙の上でも。人の話の中でも。インターネットの奥でも。
そして正直に言えば——
その中には「実際にうまくいったもの」もありました。
時には、驚くほど長く。
だからこそ、私はそれらを信用しないのです。

私は長い間ブラックジャックを遊んできました。
大阪のパチンコ屋から始まり、1980〜90年代のマカオのカジノ、そして今ではオンラインのテーブルにも座ります。若いころはカードを研究し、確率表を覚え、戦略について議論していました。しかし50年ほどこのゲームと付き合ってきて、今でははっきり言えます。

ブラックジャックはカードのゲームではありません。
――そして、なぜ今の私は昔よりもずっと静かに運を見ているのか

二十歳のころ、私は運を「出来事」だと思っていた。
四十歳のころ、運は「技術」だと信じていた。
そして七十歳になった今、私はこう考えている。運とは、許可もなく現れては去っていく「状態」なのだ、と。
――本当に難しいのは、負けた後ではなく、勝った後の決断だ

負けるのはつらい。
それは七十年生きてきた私でも、いまだに胸に重くのしかかる。
だが、本当に難しいのは、勝っているときに立ち上がることだ。
――そして、その気づきがどんな戦略よりも多くを守ってくれた理由

若いころの私は、「今日はツイていない」という言葉を言い訳だと思っていました。負けた後に、自分の判断ミスを認めたくない人が使う言葉だと。
けれど七十歳になった今、考えは変わりました。
「自分の日ではない」というのは結果ではありません。状態です。しかも、大きな損失が出る前に気づくことができるものです。見るべき場所さえ間違えなければ。

もし、どこかに自分を見つけたなら——この文章は無駄ではありません。
私は今70歳。大阪・難波の川沿いを朝歩き、盆栽に水をやり、夜は古いジャズ(60〜70年代が好きです)を流しながら、このブログを書いています。若いころは1970年代の大阪や神戸のパチンコホールで玉を打ち、煙に包まれた小さな部屋で賭け麻雀をし、80〜90年代にはマカオでバカラやブラックジャックの卓に立ちました。その後、2000年代初めにオンラインカジノを知り、「家にいながら回転する時代」を体験しました。
よく「初心者のミス」という記事を目にします。読むたびに、私は少し笑ってしまう。内容が間違っているからではありません。多くの場合、書いている人が「自分がどう失敗してきたか」をもう忘れているからです。
私は忘れていません。
むしろ、いくつかは何十年も繰り返しました。
今日は、その話をします。禁止事項の一覧ではありません。私自身がやってきたことの記録です。

私は「リスク」という言葉の意味を理解するよりも先に、麻雀を覚えました。
場所はパチンコホールでもカジノでもありません。小さな部屋、煙草の煙、湯のみの茶、ときどき差し出される日本酒。そして卓上よりも、お互いの顔を見つめ合う人たち。
それは1970年代の大阪や神戸でした。まだ若く、音で当たりを感じ取る機械式パチンコに夢中になる前の話です。あの頃の麻雀は、娯楽というよりも「人間観察の道場」でした。
麻雀が私に教えた最初で、そして最も大切な教え。
それはルールブックには書いていません。
初心者講座でも語られません。
そしてカジノは、あなたがそれに気づくことを望んでいません。