
「同じ過ちを繰り返した」と書くと、毎回まったく同じことをしたように聞こえます。実際には、過ちはそのたびに少し姿を変えていました。
負けた日は、元に戻るまで続けたい。勝った日は、もう一度だけ確かめたい。予定の時刻を過ぎれば、ここまで来たのだから今やめるのは惜しい。理由は違って見えても、していたことはよく似ています。結果が出たあとに、結果が出る前の約束を書き換えていたのです。
賭け事とその周りの人を五十年近く見ていれば、初心者の過ちは自然に減るものだと思っていました。確かに、ルールの勘違いや単純な計算違いは、覚えれば直せます。厄介なのは、知識が足りないためではなく、自分の判断を守るために起きる過ちです。経験はそれを消すどころか、ときには言い訳の語彙を増やします。私にも、その方面の覚えは十分にあります。
結果から学ぶと、逆の教訓まで成立します
同じような判断でも、勝つこともあれば負けることもあります。反対に、基準から外れた選択が、たまたま良い結果になることもあります。一回の勝敗だけを先生にすると、何を教わるかはかなり不安定です。
決めた上限を破って勝った日は、「状況に合わせて柔軟に動けた」と考えたくなります。上限を守って負けた日は、「慎重すぎて機会を逃した」と考えたくなる。これでは、同じ行動でも結果に合わせて採点基準が変わります。勝ちは違反を成功例にし、負けは守った基準を失敗例にしてしまいます。
収支は、もちろん結果として記録しなければなりません。ただし、収支と判断を一枚の答案にしないことです。負けを良い結果と言い換える必要はありませんし、勝ちを喜んではいけないわけでもありません。勝敗だけに、判断の採点まで任せないという話です。
思い出すだけでは、帳簿になりません
記憶は便利ですが、記録の代わりにはなりにくいものです。
ノルウェーのオンラインギャンブル利用者1,335人について、本人が見積もった過去一か月の損失とアカウント上の実際の損失を比べたAuerとGriffithsの研究があります。自己申告と実際の損失には全体として関連があった一方、実際の損失が大きい人ほど、正確に見積もることが難しくなる傾向が報告されました。
これはノルウェーの一つのオンラインサービスを対象にした研究で、日本のパチンコや、すべての人の記憶を説明するものではありません。それでも、「だいたい覚えている」という感覚と、外から確認できる記録が同じとは限らないことは分かります。
少なくとも金額には、あとから照合できる数字があります。もっと曖昧なのは、そのとき何を理由に続けたかです。「取り返したかった」は、時間がたつと「まだ条件がよさそうだった」に整えられる。「上限を動かした」は、「状況に応じて調整した」と言い換えられる。嘘をつこうとしているとは限りません。自分にも納得しやすい説明へ、記憶を片づけてしまうことがあるのだと私は思います。
こうして振り返るたびに理由を整えてしまえば、毎回の過ちは別物に見えます。同じ癖を繰り返していても、名前が違うので数えられません。
過ちの名前より、書き換えた場所を残す
あとから「欲が出た」「冷静さを失った」と反省しても、次に何を見ればよいのかは曖昧なままです。記録するなら、性格への評価ではなく、判断が動いた場所を残すほうが役に立ちます。
- 結果が出る前の条件
なぜ参加するのか、失っても生活に影響しない金額はいくらか、何時に終えるか、どんな状態になれば中止するかを書きます。 - 途中で変えたこと
終了時刻を延ばした、予定外のお金を追加した、賭ける速さや金額を変えた、といった観察できる行動と、その場で考えた理由を残します。 - 結果と、別の採点
勝敗や収支を書いたうえで、最初の条件については「守った」「変えた」「そもそも決めていなかった」のどれかを付けます。
最後の「決めていなかった」は、失敗ではないように見えるかもしれません。しかし、線がなければ破ることもできないため、結果がよければ何でも正しかったことになり、悪ければ何でも反省材料になります。次に直せる情報が残りません。
この記録は勝率を上げる方法ではありません。結果を見た自分が、結果を知らなかった自分の理由を書き直しにくくするためのものです。途中で判断が変わる兆候については、勝敗ではなく、続ける理由や基準の変化を見る方法にもう少し詳しく書いています。
反省を増やすより、次の条件を一つ変える
同じ書き換えが何度も記録に残ったら、「今度こそ気をつける」だけでは足りません。終了時刻を動かすなら外から分かる合図を置く。予定外のお金を足してしまうなら、決めた額より多く使えないようにしておく。怒りや強い疲れがあるときに基準が崩れるなら、そういう日は始めない。あれもこれもと決まりを増やすのではなく、実際に繰り返した一か所を、始める前に変えます。
オーストラリア・ニューサウスウェールズ州の電子ゲーム機利用者を対象にした1,088人の無作為化比較試験では、13種類の自己調整策をまとめて見た場合、一般的な注意喚起と比べて明確な改善は確認されませんでした。一方、個別の解析では、使う金額をあらかじめ取り分けるよう促された群などで、自己申告による支出の減少が見られました。比較の多さや自己申告データなどの限界があり、どの人や遊技にも同じ効果があるとは言えません。ただ、「責任を持とう」という広い決意と、事前に置いた具体的な条件を同じものとして扱わないほうがよい、という示唆にはなります。
私も以前は、規律とは、その場で自分を強く抑え続けることだと思っていました。今は、意志の強さを何度も試さなくて済むように、先に条件を置くことのほうを重く見ています。途中から自分で規則を直し、自分で承認するのですから、審査が厳しくなるはずはありません。
ただし、記録の工夫で済ませてはいけない場合があります。決めた上限を何度も守れない、やめようとしてもやめられない、生活に必要なお金を使う、借金や隠し事が増える。そうした状態まで「また同じ過ちをした」と一人で記録し続けるのは違います。意志や記録の工夫だけに任せず、外の助けを使う段階です。
消費者庁のギャンブル等依存症に関する案内には、専門医療機関、精神保健福祉センター、保健所、自助グループ、借金に関する相談先がまとめられています。本人だけでなく、家族から相談するための情報もあります。
長いあいだ、私は過ちとは、目立つ一手や大きな損失のことだと思っていました。実際には、その少し前にある小さな書き換えのほうが、何度も繰り返されていました。
過ちをなくせたとは言いません。経験が役に立つのは、同じ言い訳がまた現れたとき、以前より少し早く「これは前にも使った」と気づけるようになる、その程度なのだと思います。