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カジノ思考

「海外サイトなら合法」は本当か――オンラインカジノで日本人が誤解しやすいこと

「海外サイトなら合法」は本当か

今朝、盆栽の枝を少し整えていたら、妻が台所のほうから「今度は何を書いているの」と聞いてきた。

「オンラインカジノのこと」と私が答えると、妻は少しも驚かなかった。結婚して四十五年以上も経つと、夫のすることなど、だいたい予想がつくらしい。たまに血圧の数値には驚かれるが、カジノの話ではもう驚かれない。

「年金を溶かさない方法でも書くの?」

妻はまな板から目も上げずにそう言った。

大阪の老いた博徒が、新しいIRカジノについて思うこと

今朝、まだ暑さが本気を出す前に、いつものように淀川沿いを歩いてきた。あの川は、旅行雑誌に載るような「息をのむ絶景」というタイプではない。そんなふうに言ったら、淀川にも失礼かもしれない。ただ、そこにある。広くて、少し青みがかった灰色で、朝の光を細かく拾いながら、いつもの顔で流れている。

釣り竿を二本、自転車の後ろにくくりつけた男が通り過ぎた。手すりの近くでは、年配の女性が肩をゆっくり回していた。後ろのほうでは配送トラックがバックする音を鳴らしている。日本のバック音というのは、どうしてああも申し訳なさそうに聞こえるのだろう。悪いことをしているわけでもないのに。

そんな朝に、私は夢洲のことを考えていた。

そんな朝に、私は夢洲のことを考えていた

妻が静かに変えた、私のギャンブルとの付き合い方

妻が静かに変えた、私のギャンブルとの付き合い方

妻は、私に「ギャンブルをやめなさい」と言ったことがない。

これ、実はかなり大きい。もし正面からそう言われていたら、私はたぶん少し意地になっていたと思う。怒鳴るとか、そういう話ではない。私はテレビ時代劇の侍ではなく、ただの大阪のおじいさんである。ただ、男というものには、いくつになっても少しだけ面倒くさい部分が残っている。「やめたほうがいい」と言われると、なぜか急に、自分の自由だとか、長年の経験だとか、分かっているのはこっちだとか、そういう演説を頭の中で始めてしまう。

妻は、そのへんを私よりずっと早く見抜いていた。

なぜカジノでは、つい長く座ってしまうのか

なぜカジノでは、つい長く座ってしまうのか

これに気づいたのは、プレイヤーとして夢中になっていたときじゃなくて、少し引いた目で見ていたときだった。

場所は大阪でも神戸でもない。マカオのカジノだ。まだ妻に半ば呆れられていた頃、よく通っていた。とにかく騒がしい場所で、1970年代の難波のパチンコ店よりも、もっと派手で明るい。なのに、なぜか時間の感覚だけがぼやけていく。

例えが変かもしれないが、温かいお茶に長く浸した餅みたいな感じだ。形は崩れていくのに、中身はそのまま残っているような。

気づけば「ちょっとだけ」のつもりが、立ち上がる頃には脚は固まり、背中も少し文句を言っている。そして時計を見ると、3時間。長いと5時間なんてこともあった。

別に勝っていたわけでもないし、大負けしていたわけでもない。

ただ、座っていただけ。

これが偶然じゃないと分かるまで、正直かなり時間がかかった。

もう二度としないこと——カジノで学んだ静かな境界線

もう二度としないこと——カジノで学んだ静かな境界線

若い頃は、とにかく「できること」を増やしたくて仕方なかったんです。あれもこれも試して、少しでも上手くなりたくて。でも七十を過ぎてみると、逆でしたね。「やらないこと」を決めるほうが、よっぽど効く。

五十年以上、パチンコ台の前やマカオのテーブルに座ってきました。いい日もあれば、思い出したくない夜もある。その中で、別に頭が良くなったわけじゃないんです。ただ、自分のクセに気づいて、それを少し避けられるようになった。それだけです。

これは誰かに教えるためのものじゃありません。自分のためのメモみたいなものです。「もうこれはやらない」と決めたことの記録です。

カジノは、あなたが自分を知るよりも先に何を見抜いているのか

――正直に言うと、この話って「受け入れるまで」が一番しんどいんですよね。

プレイヤーって、だいたいこう考えがちです。
カジノは賭け金を見てる、勝ち負けを見てる、って。

それ、完全に間違いではないです。
でも…そこが核心かというと、ちょっと違うんですよ。

カジノは、あなたが自分を知るよりも先に何を見抜いているのか