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妻が静かに変えた、私のギャンブルとの付き合い方

妻が静かに変えた、私のギャンブルとの付き合い方

妻は、私に「ギャンブルをやめなさい」と言ったことがない。

これ、実はかなり大きい。もし正面からそう言われていたら、私はたぶん少し意地になっていたと思う。怒鳴るとか、そういう話ではない。私はテレビ時代劇の侍ではなく、ただの大阪のおじいさんである。ただ、男というものには、いくつになっても少しだけ面倒くさい部分が残っている。「やめたほうがいい」と言われると、なぜか急に、自分の自由だとか、長年の経験だとか、分かっているのはこっちだとか、そういう演説を頭の中で始めてしまう。

妻は、そのへんを私よりずっと早く見抜いていた。

私たちは結婚して、もう四十五年以上になる。その間、妻は何度も私がパチンコ屋から帰ってくる姿を見てきた。服にはタバコの匂い。耳の奥には、まだ金属の玉の音。手には安いコーヒーの後味。そして肩には、負けた男だけが持って帰ってくる、あの妙な希望みたいなものが乗っている。

夕飯代くらい勝って帰った日もある。逆に、今日はデザートやめとこか、というくらい負けた日もある。若い頃には一度、神戸から帰ってきた私の顔を見て、妻が何も聞かなかった夜もあった。あれは、私がずいぶん高い授業料を払った日だった。

それでも妻は説教しなかった。

ただ、ご飯を茶碗によそいながら、あるいは洗濯物をたたみながら、いつも正しい人だけが持っている、あの静かな強さでこう言った。

「年金だけは溶かさんといてな」

妻のギャンブル哲学は、それだけだった。短い。分かりやすい。表計算もないし、自己啓発本みたいな言葉もない。玄関先で涙ながらに止められるような場面もない。ただ、「年金だけは溶かさんといてな」。

最初は冗談だと思っていた。あとになって、それは境界線なのだと分かった。もっとあとになって、少し恥ずかしいくらい遅れて、それが愛情でもあるのだと気づいた。

私がパチンコを始めたのは一九七〇年代だ。当時の台には、今よりずっと機械としての性格があった。最近は画面のきれいさ、演出、オンラインの使いやすさ、ボーナスの話が多い。それはそれで分かる。私もオンラインで遊ぶし、便利なものを頭ごなしに否定するつもりはない。東京でITの仕事をしている息子には、「思ったよりちゃんと使えてるね」と言われる。子どもというのは、親を褒めながら少し失礼なことを言うのがうまい。

でも、昔のパチンコには身体があった。

ハンドルには機嫌があった。玉の音も、台によって、店によって、時間帯によって少し違った。大阪や神戸のホールで、私は考えるより先に聞くことを覚えた。良いホールはもちろん静かではない。むしろ、うるさい。けれどその騒音の中にも層がある。ボタンを強く叩きすぎる男。自分の息で確率を押し込めるとでも思っているように、前のめりになる男。反対に、恐ろしいほど静かに打つ女性。私は、そういう人たちをよく見ていた。

若い頃の私は、ギャンブルとは度胸のことだと思っていた。

その後、タバコの煙とお茶と酒の匂いが混ざった小さな麻雀部屋で打つようになり、今度は人を読むことだと思うようになった。麻雀は、牌だけを見るものではない。相手が湯のみを取る手つき。捨て牌の前の、ほんの短い間。危ない時に限って急に丁寧になる口調。そういうところに、その人の手が出る。

あの部屋で、私はいろいろ学んだ。役に立ったことも多い。役に立ちすぎて、自分が少し賢くなったと勘違いしたことも、もちろんある。

それからマカオが、私に規律を教えた。

一九八〇年代から九〇年代にかけて、私は何度かマカオへ行った。大金持ちになるほど通ったわけではない。ただ、何も知らないままでいられるほど少なくもなかった。バカラのテーブル。ブラックジャック。表情をほとんど動かさない中国系のハイローラーたち。

ある男が、大阪の小さなマンションくらいの金額を負けるのを見たことがある。彼は、何も起きなかったように袖口を直していた。別の日には、大きく勝った男が、部屋の空気に引き戻される前にすっと席を立った。私には、その姿のほうが金額よりも強く残っている。

当時の私はまだ若くて、自制心を才能のように考えていた。

今なら分かる。自制心は、才能というより手入れだ。盆栽と同じで、一度枝を切ったら終わり、というものではない。

妻が私のギャンブルを変えたのは、私を止めたからではない。私が自分の姿から目をそらせないようにしたからだと思う。

これは、いかにも日本の家庭らしい圧力かもしれない。映画みたいに、「私とカジノ、どっちが大事なの」と叫んでカードを投げるような場面はない。少なくとも、うちではない。変化はもっと小さく、家庭内の天気のように起こった。視線。ひと言。夕飯を温めておくけれど、勝ったのかとは聞かない態度。長く追いすぎた日に、「疲れてるね」とだけ言う声。

妻の「疲れてるね」は、ただの感想ではない。

だいたい診断である。私はそれに反論しないほうがいいと学んだ。男は、別の男とは議論できる。ディーラーとも、台とも、ウェブサイトとも、運の神様とも議論することができる。けれど、妻の静かな観察に反論するのは、もう靴の中まで濡れているのに天気予報と口論するようなものだ。

若い頃の私は、危ない癖を持っていた。ギャンブルの一回一回に「物語」を求めていたのだ。

分かる人には分かると思う。席に座った時、頭の中ではもう勝手に結末を書き始めている。最初は悪い流れでも、最後には取り返す。早めに勝って、少し減らして、それでも最後に賢く引く。あるいは「この台だ」「このテーブルだ」「このリズムだ」と思い込む。人間は、形のあるものが好きだ。ランダムが嫌いなのは、ランダムには礼儀がないからだと思う。

でも、ギャンブルは私の物語など気にしない。

妻が静かに変えた、私のギャンブルとの付き合い方

妻が私に教えてくれた最初のことは、たぶんそれだった。ただ、そんなふうには言わなかった。妻はただ、私の物語に乗らなかった。

「もう少しで取り返せたんや」と私が言うと、妻は「取り返してへんのやろ」と返した。

「台がそろそろ来る感じやった」と言えば、「来たん?」と聞いた。

「明日なら帳尻を合わせられる」と言えば、片方の眉だけを上げた。四十五年以上一緒にいると、その眉にはかなりの権限がある。役所の窓口より強い時もある。

最初は、少し腹立たしかった。今では、あの眉に何度も救われたと思っている。少なくとも、私は完全に滑稽な老人になる前に、何度か足を止めることができた。

もちろん、私はそんなに立派な人間ではない。今でも妙な瞬間はある。パチンコ台に話しかけることもある。オンラインの台に向かって話しかける時など、相手は私の声を聞けないのだから、なおさらどうかしている。

ある夜、ノートパソコンの画面に向かって「頼むわ、あと一回だけ」と言っているところを妻に見られた。

妻は私を見て、画面を見て、もう一度私を見た。

「それ、関西弁分かるん?」

私は何も言えなかった。

それ以来、少し静かに遊ぶようになった。少しだけ。

二〇〇〇年代の初めにオンラインカジノと出会った時、私は若い頃に新しいホールへ入った時と同じような好奇心を感じた。最初の頃のサイトは、今思えばずいぶん不器用だった。疲れた会社員が、夜中に缶コーヒーを飲みながら作ったような画面もあった。それでもオンラインには、強い力があった。いつでも入れる、という力だ。

パチンコ屋へ行くには、靴を履く。天気を見る。時間を作る。人目も少し受け入れる。場合によっては電車にも乗る。オンラインのギャンブルに必要なのは、画面と、少し弱くなった心だけである。

ここで、妻の影響はさらに大きくなった。

昔なら、私が帰ってくる音が妻には聞こえた。上着の匂いで、どんな場所にいたかも分かった。玄関の小皿に小銭を丁寧に置くのか、負けた男の手つきで投げるように置くのかも見られていた。オンラインは、ギャンブルを静かにした。より個人的にした。そして、その柔らかな便利さのぶんだけ、少し危険にした。

オンラインでは、こちらが見せない限り、誰にも焦りは見えない。

しばらく私は、そのひそやかさを楽しみすぎた。妻が寝たあと、夜遅くにオンラインパチンコを打った。少額だから大丈夫だ、と自分に言っていた。実際、金額は小さいことが多かった。私はハイローラーではない。ハイローラーという人たちは見たことがあるが、私には彼らの資金も、胃袋も、クリーニング代もない。

ただ、小さな負けでも習慣は作られる。危ないのは、いつも金額だけではない。画面との関係の中に、危険が育つこともある。

妻は、私が自分で認める前に、それに気づいた。

ある朝、朝食の時に妻が言った。

「昨日、遅くまで起きてたやろ」

私は「ちょっと読んでただけ」と答えた。

妻は「本読んで、あんなため息出るん?」と言った。

私は味噌汁を見た。豆腐は何も助けてくれなかった。

その日から私は、勝ち負けだけではなく、なぜ遊んだのかを書き留めるようになった。

これが、妻が私を変えた二つ目の方法だった。金額だけでなく、気分を記録するようにしたのだ。

お金は数えやすい。気分はつかみにくい。でも本当のギャンブルは、たいてい気分のところから始まる。

私は簡単なメモをつけた。

家族との電話のあとで疲れていた。

腰が痛くて機嫌が悪かった。

ワインのあとにプレイした。よくない。

雨で退屈だった。

何かを証明したかった。かなりよくない。

自分で読み返すと、少し恥ずかしい。けれど、恥ずかしさは悪くない。大きな損失より安いし、案外よく効く。

日本の暮らしには、生活が形を失いすぎないようにする小さな作法がたくさんある。朝の挨拶。靴を脱ぐこと。季節の食べ物が、ちゃんとその時期にコンビニへ並ぶこと。私の淀川沿いの散歩にも、ささやかなリズムがある。同じ道。同じ帽子をかぶったおじさんたち。私を見るたびに、少しがっかりしたような顔をする犬。あの犬には、何か言いたいことがあるのだろう。

そういう日常は派手ではない。でも、一日を支えてくれる。

だから私は、ギャンブルにも決まりを作るようになった。

「必勝法」ではない。私は、カジノに勝てると約束するシステムを信じていない。長く生きていると、いろいろなシステムを見る。そしてその多くは、眼鏡をかけた忍耐不足みたいなものだ。私が信じているのは、行動である。パターン。条件。限度。生き残るための、面白みのない家具のようなものだ。

妻は、そういう地味な家具を好む。

プレイする前に、私は三つのことを決める。金額、時間、理由。

金額は、負けても不機嫌にならずに済む額でなければならない。ここは本当に大事だ。「このくらいなら負けても大丈夫」と言う人は多い。でも、負けたあとで食卓に黒い雲を持ち込むなら、それは大丈夫ではなかったということだ。ギャンブルの本当のコストには、家に持ち帰る気分も含まれる。

時間も決める。特にオンラインでは、終わりを決めておかないといけない。終わりがなければ、夜は標識のない道のようになる。あと一回。あと一回転。あと少しだけ修正。ギャンブルでいちばん高くつく言葉は、「全額勝負」ではない。「もう少しだけ」だ。

理由は、正直でなければならない。

「リラックスしたい」はいい。

「このサイトを試してみたい」もいい。

「今日はツイている気がする」は、あまり意味はない。ただ、人間らしいので、たまには許す。

「昨日の負けを取り戻したい」は禁止。

「腹が立っている」も禁止。

「若い頃の感じを思い出したい」は、少し複雑だ。そう書いた日は、たいてい散歩に行く。

妻がこのルールを作ったわけではない。少なくとも、直接ではない。ただ、妻は私がルールの必要性から目をそらせないようにしてくれた。

妻は、私の「勝ち」との関係も変えた。

若い頃、勝ちは証明だった。自分が賢い。勇敢だ。鋭い。何か見えない流れに選ばれている。そんなふうに感じていた。負けは、すぐに直すべき誤りだった。これは子どもっぽい考え方だが、多くの大人が立派な服を着せて持ち歩いている。

妻は、勝ちにロマンを持たない。

私が勝って少し浮かれていると、「よかったやん。ほな、やめとき」と言う。

負けて哲学的な顔をしていると、「哲学は負ける前のほうが安いで」と言う。

ある時、オンラインのブラックジャックでうまくいったあと、私は「今日はいい打ち方ができた」と言った。

妻は「負けてても同じこと言う?」と聞いた。

その質問は、今でも残っている。

良い判断が、いつも良い結果を連れてくるわけではない。悪い判断が、たまに報われてしまうこともある。これがギャンブルの残酷さであり、面白さであり、教育でもある。長い年月をかけて、結果はうるさいけれど、過程にはもっと静かな声があるのだと私は学んだ。プレイしない妻は、それを私より先に分かっていたのかもしれない。

妻は私のギャンブルを、勝ったか負けたかでは見ない。私が私のままでいられたかを見る。

言った時間にやめたか。

夕飯を普通に食べたか。

眠れたか。

妻が静かに変えた、私のギャンブルとの付き合い方

リモコンの場所や、近所の自転車の停め方みたいな小さなことで、妙に短気にならなかったか。

地味な指標だが、これがかなり正確である。カジノは自尊心をだますのがうまい。でも家庭までは、なかなかだませない。

結婚とは、そういう意味で便利なものだ。便利と言うと、少し怒られそうだが。

日本語には「間」という言葉がある。音楽にも、会話にも、建築にも、日常にもある。私はギャンブルにも「間」があると思っている。衝動と行動のあいだ。倍に張る前の一息。追加で入金する前の散歩。今夜はもう終わりにするかどうかを決める前のお茶。

妻は、私にその間を大切にさせた。

もちろん、「間を大切にしなさい」などとは言わない。もしそんな言い方をしたら、私は妻が自己啓発本でも読み始めたのかと疑う。妻はただ、私のそばにお茶を置き、何も言わない。盆栽に水をやったのかと聞く。ブラックジャックを三手続けて外したからといって、ゴミの日は変わらないのだと、生活そのもので知らせてくる。

人生は続く。それは慰めでもあり、少し腹立たしいことでもある。

盆栽にも助けられた。私は三本の木を二十年以上育てている。あれは忍耐強い先生だ。枝を切りすぎても、「すまなかった」と言って元に戻せるわけではない。世話を怠っても、木は怒鳴らない。ただ、傷みはゆっくり現れる。

ギャンブルも似ている。悪い習慣は、いつも大惨事の顔で現れるわけではない。もっと小さい。小さな許可としてやってくる。

今日は限度を無視してもいい。

今日は疲れているけれど打ってもいい。

今日は少し追ってもいい。

今日はこれを「経験」と呼んでもいい。

多くの人は、一度の大失敗で壊れるのではない。千回の小さな交渉で、少しずつ崩れていく。私には分かる。煙たい部屋でも、明るいホールでも、ホテルのカジノでも、陽気なボタンが並ぶウェブサイトでも、私は何度も自分と交渉してきた。愚かなことをしたい時の私は、なかなか交渉がうまい。

妻は、その交渉に加わらない。

それが、妻の贈り物だ。

今、新しいオンラインカジノを試す時、私は必ず「最小で」やる。少額の入金。低い賭け金。信頼は早く与えない。画面の使いやすさ、出金の流れ、ゲームの速度、自分の体にどんな感じを起こすかを見る。礼儀正しい店のようなサイトもある。祭りの屋台をキツネが運営しているようなサイトもある。光りすぎるボーナス。急かしすぎる表示。あなたは特別です、と言いたげなメッセージ。

七十歳にもなると、急に私を特別扱いしてくる相手を疑うようになる。

妻はこの言い方が気に入っている。「私も、あんたが特別やと気づくの遅かったわ。返品できへんかったけど」と言う。

私は、攻撃的なボーナスをあまり信用しない。すべてのボーナスが悪いと言いたいわけではない。ただ、ボーナスの中には、考え方の形を変えてしまうものがある。いつの間にか「遊びたいか」ではなく、「これをどう解放するか」を考え始めている。ゴールポストを動かされ、そのゴールポストを自分で運ばされているようなものだ。

マカオではテーブルを見ることを学んだ。オンラインでは、デザインを見ることを学んだ。

危ないのは、必ずしもゲームそのものではない。ゲームの周りにある環境が危ないこともある。カウントダウンタイマー。惜しかったと思わせる演出。期間限定の表示。簡単すぎる入金ボタン。負けた時でさえ、まるでお金が親戚の家に遊びに行っただけのように明るく鳴る音。

いまだに現金を好み、頻繁に更新されるアプリをあまり信用しない妻は、こう言う。

「入る扉だけ、えらい入りやすくしてるんやな」

その通りである。

だから私は、自分で出る扉を作る。

セッションが終わったら、また明日遊ぶつもりでもログアウトする。プラットフォームの中に大きな残高を置きっぱなしにしない。アカウントの中のお金は、現実味が薄くなる。ゲームのポイントのように感じてしまう。でもお金はお金だ。米を買い、孫への贈り物を買い、電気代を払い、必要ないのについ買ってしまう古いジャズのレコード代にもなる。ジャケットが美しいと、つい、ね。

それから、私は遊ぶ時に妻へ言うようになった。

細かい実況まではしない。結婚生活にライブ配信は不要である。ただ、「今夜、一時間だけ遊ぶかもしれん」とか、「今日、新しいパチンコのサイトを試した」と言う。この小さな報告だけで、空気が変わる。完全に秘密にされたギャンブルは重くなる。暗い場所でカビが生えるように、少しずつ別のものになる。

私がそう言うと、妻はたいてい「年金だけは溶かさんといてな」と返す。

同じ言葉だ。何十年も変わらない。でも今の私には、その中にもっと多くの意味が聞こえる。

お金を失いすぎるな。

バランスを失うな。

ユーモアを失うな。

遊びを可能にしている、普通の生活を失うな。

最後のひとつが、いちばん大事だと思う。

ギャンブルは、良い形であれば、人生の代わりではない。人生の中にある小さな部屋だ。明るい光と数学の幽霊がいる、少し変な部屋ではある。でも、あくまで部屋にすぎない。そこから出て、台所へ戻れること。川沿いの散歩道へ戻れること。孫のややこしい質問へ戻れること。枝を整える静かな作業へ戻れること。そのほうがずっと大切だ。

孫たちは、私がギャンブルについて書いていることを知っている。けれど私は、彼らに「勝ち方」は教えない。運の数学、リスクの心理、不確実なものに脳がなぜ興奮するのか、そういう話をする。子どもは時々、大人よりも確率をよく理解する。まだ自分に上手な嘘をつく方法を覚えていないからだ。

ある時、孫の一人が聞いた。

「おじいちゃん、カジノはだいたいお店が勝つって知ってるのに、なんでやるの?」

よい質問だった。よい質問は、たいてい少し失礼である。

私はこう答えた。

「雨に濡れるって分かってても、雨の中を歩くのが楽しい時があるやろ」

孫は少し考えてから言った。

「じゃあ、傘持っていけばいいやん」

その通りだ。

妻は、私の傘である。

すべての負けから守ってくれるという意味ではない。それは不可能だし、妻の仕事でもない。妻が守ってくれるのは、雨を晴れだと言い張る私からである。言葉をきれいに保ってくれる。勝ちは勝ち。負けは負け。疲れは疲れ。十分は十分。

この静かな明瞭さが、どんな戦略よりも私のギャンブルを変えた。

私は今でもパチンコが好きだ。特にリズムが合う時はいい。実店舗のパチンコには、オンラインでは完全に再現できない身体的な楽しさがある。振動。音の海。周囲の人たちと「一人で一緒にいる」ような感覚。オンラインのパチンコにはまた別の感覚がある。より個人的で、より制御されていて、時には制御されすぎている。どちらも楽しむが、もう楽しさを運命と勘違いすることはない。

ブラックジャックは、何かを選んでいる感じが欲しい時に今でも惹かれる。完全なコントロールではない。コントロールという言葉は強すぎる。ブラックジャックが与えてくれるのは、カードがこちらに同意しなくても、正しく選ぶという小さな尊厳だ。

バカラは、めったにやらない。やる時は、ほとんど儀式のようなものだ。少しだけ身を任せるための儀式。あのゲームは、人を賢くなった気にさせるくらい単純で、その気持ちを罰するには十分すぎるほど速い。

年齢は、ギャンブルを変える。

二十五歳の時、負けは挑戦だった。

四十歳の時、負けは教訓だった。

七十歳になると、負けは腰痛であり、寝不足であり、妻に「大根買うの忘れたん?」と聞かれることでもある。

これは進歩だと思う。

ただ、年齢をあまり美化するつもりはない。年を取った男も愚かである。時には、より愚かだ。守りたい昔話があるからだ。「経験がある」と言いながら、本当は「変わりたくない」と言っていることもある。私にも覚えがある。経験は、柔らかさを失わない時だけ役に立つ。そうでなければ、ただ重たい無知になる。

妻は、私の経験を柔らかいままにしてくれた。

妻はギャンブル理論を勉強したわけではない。ブラックジャックの細かいルール差にも興味がないし、バカラの罫線表を真剣な顔で描く男たちの気持ちも分からない。なぜあるパチンコ台は気前よく感じ、別の台は恨みを持った僧侶が組み立てたように感じるのかも、たぶん知らない。

けれど妻は、私を知っている。

楽しみで遊んでいる時の私と、気分を直すために遊んでいる時の私を知っている。好奇心で動いている時と、落ち着かなさで動いている時を知っている。頭の中でブログの記事を書いている時と、言い訳を作っている時を知っている。カジノが見るのは私の賭け金だ。妻が見ているのは、その賭けと賭けのあいだにあるものだ。

だから私は、妻が静かに私のギャンブルを変えたのだと言う。

力ずくではない。恥をかかせることでもない。趣味を道徳の裁判にかけることでもない。

妻は私に、ほんとうの問いを教えた。

「勝てるかどうか」ではない。

「勝とうとしている時、自分はどんな人間になっているのか」

この問いは、少し居心地が悪い。今では、どのセッションにもついてくる。オンラインパチンコの横に座っている。ブラックジャックの時にも見ている。バカラの時には、片眉を上げている。

そのおかげで、私は昔よりも劇的ではなく、正直に、そしてうまく引けるようになった。

引き際こそ、すべてだ。

私はブログの最後に、時々こう書く。

「今日は引き際が一番の勝ちだ」

読者のために書いているつもりでもある。自分のためでもある。たぶん、自分のためのほうが大きい。五十年以上遊んできた男でも、まだ注意書きは必要なのだ。自分にはもう注意書きなどいらないと言う人ほど、たいてい危ない。

今夜、夕食のあとに少しだけオンラインパチンコを打つかもしれない。打たないかもしれない。今日は一日、雨がやわらかく降っていて、膝がいつもの天気予報をしている。妻はテレビを見ながら、見ていないふりをして、私がノートパソコンを開くかどうかをたぶん見ている。

もし遊ぶなら、金額を決める。時間を決める。理由を書く。

勝てば、妻は「よかったやん。ほな、やめとき」と言うだろう。

負ければ、「お茶、飲む?」と言うだろう。

正直に言えば、長い年月を経た今では、そのお茶のほうが、ずっといい景品なのかもしれない。