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パチンコとギャンブルをめぐる、老いた打ち手の記録

私が「初心者の過ち」を何度も繰り返した理由――勝敗より先に残すべき記録

私が40年間くり返してきた初心者の過ち

「同じ過ちを繰り返した」と書くと、毎回まったく同じことをしたように聞こえます。実際には、過ちはそのたびに少し姿を変えていました。

負けた日は、元に戻るまで続けたい。勝った日は、もう一度だけ確かめたい。予定の時刻を過ぎれば、ここまで来たのだから今やめるのは惜しい。理由は違って見えても、していたことはよく似ています。結果が出たあとに、結果が出る前の約束を書き換えていたのです。

賭け事とその周りの人を五十年近く見ていれば、初心者の過ちは自然に減るものだと思っていました。確かに、ルールの勘違いや単純な計算違いは、覚えれば直せます。厄介なのは、知識が足りないためではなく、自分の判断を守るために起きる過ちです。経験はそれを消すどころか、ときには言い訳の語彙を増やします。私にも、その方面の覚えは十分にあります。

麻雀で最初に学んだこと――「降りる」と「怖がる」は同じではない

最初に麻雀から学んだルール(カジノは決して教えてくれないこと)

麻雀は四人で打ちます。けれど若い頃の私の卓には、ときどき五人目がいました。

他人からどう見られるか、という気持ちです。

牌の形や点棒とは関係のないところで、そいつは口を出します。ここで退けば弱く見える。押せば腹の据わった人間に見える。誰かにそう言われたわけではありません。自分で相手の評価を想像し、自分でそれに返事をしていたのです。

なぜ私はオンラインカジノのボーナスを信用しないのか――「得」の後ろにある条件

なぜ私はオンラインカジノのボーナスやキャンペーンを信用しないのか

「100%ボーナス」と書かれていると、目はまず増えた数字へ向かいます。私が気にするのは、そのあとに増える動詞のほうです。登録する。入金する。賭ける。続ける。期限までに条件を満たす。

普通の値引きなら、買わずに帰っても、すでに持っていたものを失った気分にはなりにくいでしょう。ところがボーナスは、画面に残高として現れた瞬間から、まだ自由に使える現金ではないものまで「自分が受け取ったお金」のように見せます。すると、参加するかどうかより、どうすれば失わずに済むかを考え始める。

オンライン・パチンコ vs 実店舗――便利さが、そっと奪っていったもの

オンライン・パチンコ vs 実店舗――便利さが、そっと奪っていったもの

初めてオンライン・パチンコを触った日のこと、いまだに妙に覚えてるんですよね。
たしか2000年代の初め頃。回線は遅いし、画面もシンプルというか味気ないし、演出もかなり控えめでした。

そのときの正直な感想は、「あ、これはこれで面白い。でも良くなったって感じじゃないな。ただ“別物”だな」っていう、ちょっと曖昧なものでした。

そこから20年以上。今はもう速いし派手だし、スマホ一つでどこでも打てる。
一方で、実店舗のホールは少し落ち着いたというか、場所によっては空席が目につくようにもなりました。

で、「結局どっちがいいの?」ってよく聞かれるんですが、毎回ちょっと間が空きます。
これ、優劣じゃないんですよね。単純に「自分が何を求めてるか」の話なんです。

パチンコ――昔と今、私たちが失ったもの

Pachinko - Then and Now

最近、ちょっと引っかかってることがあって。
今のパチンコって、なんというか…音が消えた気がするんですよね。

もちろん光はすごいです。
派手に点滅するし、デジタル音声も賑やか。
でも――不思議と“響いてこない”。

自分が初めてパチンコ玉を打ったのは、1970年代の大阪でした。
あの頃はほとんどが機械式で。
正直、目を閉じててもホールの調子が分かったんですよ。