今朝、盆栽の枝を整えていたときのことだ。妻が私の肩越しにノートをのぞき込み、なぜ「17」という数字を三度も書いているのかと聞いた。

「ブラックジャックの記事を書こうと思ってね」
そう答えると、妻は、何ひとつ説明を受けていないような顔でうなずいた。
「あなたの記事を読んだ人が、年金まで賭けないようにしてちょうだい」
老いたパチンコ打ちの覚え書き
今朝、盆栽の枝を整えていたときのことだ。妻が私の肩越しにノートをのぞき込み、なぜ「17」という数字を三度も書いているのかと聞いた。

「ブラックジャックの記事を書こうと思ってね」
そう答えると、妻は、何ひとつ説明を受けていないような顔でうなずいた。
「あなたの記事を読んだ人が、年金まで賭けないようにしてちょうだい」

今でも、ふっと恋しくなる音がある。
勝ったときの音ではない。いや、もちろんそれも覚えている。玉がざあっと払い出される、あの金属の雨みたいな音。周りの人に「この人、今ちょっと運に選ばれましたよ」と知らせてしまう、少し照れくさい音だ。忘れたと言えば嘘になる。私は僧侶ではない。僧侶でも、あれだけ派手に鳴ればたぶん覚えていると思う。
でも、私が本当に懐かしいのは、その少し前の音だ。

ブラックジャックの基本戦略を覚え始めた人が、いちばん戸惑うのは表の読み方ではないと思います。表どおりに動いて負けたあと、それでもその判断を正しかったと考えられるかどうかです。
ヒットと示された場面でカードを引き、10点札が来てバストする。次のハンドでは、基本戦略から外れたスタンドがディーラーのバストに救われる。結果だけを見れば、前者には×、後者には○を付けたくなります。
収支の記録としては、それで正しい。しかし、判断の採点まで同じ記号で済ませると、ブラックジャックから間違ったことを学びます。

麻雀は四人で打ちます。けれど若い頃の私の卓には、ときどき五人目がいました。
他人からどう見られるか、という気持ちです。
牌の形や点棒とは関係のないところで、そいつは口を出します。ここで退けば弱く見える。押せば腹の据わった人間に見える。誰かにそう言われたわけではありません。自分で相手の評価を想像し、自分でそれに返事をしていたのです。