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ギャンブル哲学

カジノは、あなたが自分を知るよりも先に何を見抜いているのか

――正直に言うと、この話って「受け入れるまで」が一番しんどいんですよね。

プレイヤーって、だいたいこう考えがちです。
カジノは賭け金を見てる、勝ち負けを見てる、って。

それ、完全に間違いではないです。
でも…そこが核心かというと、ちょっと違うんですよ。

カジノは、あなたが自分を知るよりも先に何を見抜いているのか

バカラはなぜ「戦略」より「儀式」になるのか――罫線が変えるもの、変えないもの

なぜバカラは「戦略」ではなく「儀式」なのか

バカラのテーブルには、少し奇妙なところがあります。プレイヤーが決められることは少ないのに、人によって遊び方がずいぶん違って見えるのです。

1980年代から1990年代にかけて何度かマカオを訪れたとき、私はバカラを遊びながら、人がどう座り、どう待ち、カードをどう扱い、結果をどう記録するかをよく見ていました。同じ勝敗の並びを見ても、すぐにチップを置く人もいれば、しばらく動かない人もいる。そこにはゲームのルールとは別に、それぞれの作法がありました。

こうした違いは、外から見ると上手さの差のようにも映ります。しかし、バカラで目立つ作法の多くは、カードを有利に動かす戦略というより、偶然の前で何もせずに待つことに、人が形を与えるための儀式なのではないか。今はそう考えています。

ブラックジャックで「正しい判断」が負ける理由――基本戦略は何を正しくするのか

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ブラックジャックの基本戦略を覚え始めた人が、いちばん戸惑うのは表の読み方ではないと思います。表どおりに動いて負けたあと、それでもその判断を正しかったと考えられるかどうかです。

ヒットと示された場面でカードを引き、10点札が来てバストする。次のハンドでは、基本戦略から外れたスタンドがディーラーのバストに救われる。結果だけを見れば、前者には×、後者には○を付けたくなります。

収支の記録としては、それで正しい。しかし、判断の採点まで同じ記号で済ませると、ブラックジャックから間違ったことを学びます。

「運がいい人」は本当にいるのか――賭け事を約50年見てきて残った答え

50年、カジノと向き合ってわかった「運」のこと

「今日は運がよかった」と「私は運がいい」は、よく似た言葉です。けれど、賭け事の中では同じ働きをしません。

前者は、終わった結果を振り返っています。後者は、偶然をその人の性質に変えます。そして「私は運がいい。だから次も」という一文が続くと、まだ起きていない勝敗にまで話が伸びていきます。

私は賭け事と、その周りにいる人たちを五十年近く見てきました。それでも、結果が出る前に「運のいい人」を見分けられるようにはなりませんでした。結果が出たあとなら、誰にでも言えます。ずいぶん簡単な鑑定です。

長い時間をかけて分かってきたのは、運の正体というより、「運」という言葉がいつ次の判断へ入り込むのか、ということでした。

ギャンブルで「今日はやめたほうがいい」と判断するには、勝敗より何を見るべきか

今日は「自分の日ではない」とわかる瞬間

正しい選択を知りながら、別の選択をしたことがあります。ブラックジャックでのことです。

手札や結果を詳しく並べても、この話の中心は変わりません。私は知らなかったから間違えたのではない。正解を知っているだけでは、それを選べるとは限らなかった。あまり愉快な事実ではありませんが、この題を考える出発点にはなります。

「今日は自分の日ではない」と気づくのは、負けが続いたときではありません。自分が知っている基準よりも、直前の結果や、その場で作った理由を優先し始めたときです。次に何が起きるかは読めなくても、自分の決め方が変わったことなら確かめられます。

私が「初心者の過ち」を何度も繰り返した理由――勝敗より先に残すべき記録

私が40年間くり返してきた初心者の過ち

「同じ過ちを繰り返した」と書くと、毎回まったく同じことをしたように聞こえます。実際には、過ちはそのたびに少し姿を変えていました。

負けた日は、元に戻るまで続けたい。勝った日は、もう一度だけ確かめたい。予定の時刻を過ぎれば、ここまで来たのだから今やめるのは惜しい。理由は違って見えても、していたことはよく似ています。結果が出たあとに、結果が出る前の約束を書き換えていたのです。

賭け事とその周りの人を五十年近く見ていれば、初心者の過ちは自然に減るものだと思っていました。確かに、ルールの勘違いや単純な計算違いは、覚えれば直せます。厄介なのは、知識が足りないためではなく、自分の判断を守るために起きる過ちです。経験はそれを消すどころか、ときには言い訳の語彙を増やします。私にも、その方面の覚えは十分にあります。

麻雀で最初に学んだこと――「降りる」と「怖がる」は同じではない

最初に麻雀から学んだルール(カジノは決して教えてくれないこと)

麻雀は四人で打ちます。けれど若い頃の私の卓には、ときどき五人目がいました。

他人からどう見られるか、という気持ちです。

牌の形や点棒とは関係のないところで、そいつは口を出します。ここで退けば弱く見える。押せば腹の据わった人間に見える。誰かにそう言われたわけではありません。自分で相手の評価を想像し、自分でそれに返事をしていたのです。