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感情コントロール

「無料プレイ」は、本当に無料なのか

「無料プレイ」は、本当に無料なのか

オンラインカジノの画面で、はじめて「無料プレイ」という文字を見たとき、私は少し笑ってしまった。

大きな声で笑ったわけではない。七十にもなると、そんなにしょっちゅう大笑いはしない。古い友人と会ったときとか、妙にくだらないテレビを見たときとか、妻がこちらの考えていることを見事に言い当てたときくらいだ。そのときの笑いは、鼻から少し息が抜けるような、まあ、年寄りらしい笑いだった。

画面には、はっきりと「無料」と書いてあった。

妻が静かに変えた、私のギャンブルとの付き合い方

妻が静かに変えた、私のギャンブルとの付き合い方

妻は、私に「ギャンブルをやめなさい」と言ったことがない。

これ、実はかなり大きい。もし正面からそう言われていたら、私はたぶん少し意地になっていたと思う。怒鳴るとか、そういう話ではない。私はテレビ時代劇の侍ではなく、ただの大阪のおじいさんである。ただ、男というものには、いくつになっても少しだけ面倒くさい部分が残っている。「やめたほうがいい」と言われると、なぜか急に、自分の自由だとか、長年の経験だとか、分かっているのはこっちだとか、そういう演説を頭の中で始めてしまう。

妻は、そのへんを私よりずっと早く見抜いていた。

ひとりで遊ぶということ——オンラインカジノは「リスクの手触り」をどう変えたのか

ひとりで遊ぶということ——オンラインカジノは「リスクの手触り」をどう変えたのか

今でも、ふっと恋しくなる音がある。

勝ったときの音ではない。いや、もちろんそれも覚えている。玉がざあっと払い出される、あの金属の雨みたいな音。周りの人に「この人、今ちょっと運に選ばれましたよ」と知らせてしまう、少し照れくさい音だ。忘れたと言えば嘘になる。私は僧侶ではない。僧侶でも、あれだけ派手に鳴ればたぶん覚えていると思う。

でも、私が本当に懐かしいのは、その少し前の音だ。

もう二度としないこと——カジノで学んだ静かな境界線

もう二度としないこと——カジノで学んだ静かな境界線

引き際については、これまで何度も考えてきました。けれど、私がいちばん静かだと思う境界線は、出口ではなく入口にあります。

腹が立っている。ひどく疲れている。酒が入っている。家族と口論した直後。悪い知らせを、しばらく忘れたい。そんなときに賭け事を始めると、ゲームに遊びとは別の仕事をさせることになります。

気分を直してくれ、という仕事です。

カジノは、あなたが自分を知るよりも先に何を見抜いているのか

――正直に言うと、この話って「受け入れるまで」が一番しんどいんですよね。

プレイヤーって、だいたいこう考えがちです。
カジノは賭け金を見てる、勝ち負けを見てる、って。

それ、完全に間違いではないです。
でも…そこが核心かというと、ちょっと違うんですよ。

カジノは、あなたが自分を知るよりも先に何を見抜いているのか

バカラはなぜ「戦略」より「儀式」になるのか――罫線が変えるもの、変えないもの

なぜバカラは「戦略」ではなく「儀式」なのか

バカラのテーブルには、少し奇妙なところがあります。プレイヤーが決められることは少ないのに、人によって遊び方がずいぶん違って見えるのです。

1980年代から1990年代にかけて何度かマカオを訪れたとき、私はバカラを遊びながら、人がどう座り、どう待ち、カードをどう扱い、結果をどう記録するかをよく見ていました。同じ勝敗の並びを見ても、すぐにチップを置く人もいれば、しばらく動かない人もいる。そこにはゲームのルールとは別に、それぞれの作法がありました。

こうした違いは、外から見ると上手さの差のようにも映ります。しかし、バカラで目立つ作法の多くは、カードを有利に動かす戦略というより、偶然の前で何もせずに待つことに、人が形を与えるための儀式なのではないか。今はそう考えています。

ブラックジャックで「正しい判断」が負ける理由――基本戦略は何を正しくするのか

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ブラックジャックの基本戦略を覚え始めた人が、いちばん戸惑うのは表の読み方ではないと思います。表どおりに動いて負けたあと、それでもその判断を正しかったと考えられるかどうかです。

ヒットと示された場面でカードを引き、10点札が来てバストする。次のハンドでは、基本戦略から外れたスタンドがディーラーのバストに救われる。結果だけを見れば、前者には×、後者には○を付けたくなります。

収支の記録としては、それで正しい。しかし、判断の採点まで同じ記号で済ませると、ブラックジャックから間違ったことを学びます。

ギャンブルで「今日はやめたほうがいい」と判断するには、勝敗より何を見るべきか

今日は「自分の日ではない」とわかる瞬間

正しい選択を知りながら、別の選択をしたことがあります。ブラックジャックでのことです。

手札や結果を詳しく並べても、この話の中心は変わりません。私は知らなかったから間違えたのではない。正解を知っているだけでは、それを選べるとは限らなかった。あまり愉快な事実ではありませんが、この題を考える出発点にはなります。

「今日は自分の日ではない」と気づくのは、負けが続いたときではありません。自分が知っている基準よりも、直前の結果や、その場で作った理由を優先し始めたときです。次に何が起きるかは読めなくても、自分の決め方が変わったことなら確かめられます。