
今でも、ふっと恋しくなる音がある。
勝ったときの音ではない。いや、もちろんそれも覚えている。玉がざあっと払い出される、あの金属の雨みたいな音。周りの人に「この人、今ちょっと運に選ばれましたよ」と知らせてしまう、少し照れくさい音だ。忘れたと言えば嘘になる。私は僧侶ではない。僧侶でも、あれだけ派手に鳴ればたぶん覚えていると思う。
でも、私が本当に懐かしいのは、その少し前の音だ。
老いたパチンコ打ちの覚え書き

今でも、ふっと恋しくなる音がある。
勝ったときの音ではない。いや、もちろんそれも覚えている。玉がざあっと払い出される、あの金属の雨みたいな音。周りの人に「この人、今ちょっと運に選ばれましたよ」と知らせてしまう、少し照れくさい音だ。忘れたと言えば嘘になる。私は僧侶ではない。僧侶でも、あれだけ派手に鳴ればたぶん覚えていると思う。
でも、私が本当に懐かしいのは、その少し前の音だ。

若い頃は、とにかく「できること」を増やしたくて仕方なかったんです。あれもこれも試して、少しでも上手くなりたくて。でも七十を過ぎてみると、逆でしたね。「やらないこと」を決めるほうが、よっぽど効く。
五十年以上、パチンコ台の前やマカオのテーブルに座ってきました。いい日もあれば、思い出したくない夜もある。その中で、別に頭が良くなったわけじゃないんです。ただ、自分のクセに気づいて、それを少し避けられるようになった。それだけです。
これは誰かに教えるためのものじゃありません。自分のためのメモみたいなものです。「もうこれはやらない」と決めたことの記録です。

「高くついた」って聞くと、だいたいみんなお金の話を思い浮かべるよね。
昔の自分も、まさにそうだった。
でも今になって思うと、一番代償が大きかったのはお金じゃなかった。
時間だったんだよね。
――正直に言うと、この話って「受け入れるまで」が一番しんどいんですよね。
プレイヤーって、だいたいこう考えがちです。
カジノは賭け金を見てる、勝ち負けを見てる、って。
それ、完全に間違いではないです。
でも…そこが核心かというと、ちょっと違うんですよ。

— 静かなマカオのテーブルが教えてくれたこと
バカラって、昔からちょっと不思議なゲームだなと思ってる。

ルール自体は驚くほどシンプルだし、プレイヤーがやることもほとんどない。
それなのに、「バカラは分かってるよ」と自信たっぷりに話す人がやけに多い。
正直に言うと、ブラックジャックとはかなり長い付き合いです。
最初は大阪のパチンコ屋。そのあと80〜90年代のマカオのカジノ。で、今は気が向いたときにオンラインでも座ります。
若いころはね、けっこう真面目にやってましたよ。カードの流れを研究したり、確率表を暗記したり、戦略について人と議論したり。あの頃は「ちゃんとやれば勝てるゲームだ」と本気で思ってました。
でも、50年も続けてると、さすがに見え方が変わります。

今ははっきり言えます。
ブラックジャックって、カードのゲームじゃないです。
――本当に難しいのは、負けた後じゃなくて、勝っている最中の判断なんだよね

負けるのは、やっぱりきつい。
これはもう、七十年も生きてきてるのに、いまだに慣れない。胸にずしっと来る。
でも実際のところ、一番やっかいなのは勝ってるときにやめることなんだ。
――そして、その気づきがどんな戦略よりも多くを守ってくれた理由

若いころの私は、「今日はツイていない」なんて言葉、正直ちょっと嫌いでした。負けたあとに言い訳として使うものだと思っていたんです。自分の判断ミスを認めたくない人が、最後に逃げ込む場所みたいな。
でもね、七十歳になった今は、見方がだいぶ変わりました。
「自分の日ではない」って、結果の話じゃないんですよ。状態なんです。しかも面白いことに、大きく崩れる前に、ちゃんとサインは出ている。見方さえ間違えなければ、気づけるものです。

もし、どこかで「これ、自分のことかも」と思ったなら——この文章はたぶん無駄じゃないです。
私はいま70歳。大阪・難波の川沿いを朝に少し歩いて、帰ってきたら盆栽に水をやる。夜は古いジャズ(60〜70年代ばかり)を流しながら、こうしてブログを書いています。
若いころはというと、1970年代の大阪や神戸のパチンコホールに入り浸っていました。煙のこもった小さな部屋で賭け麻雀もやっていましたし、80〜90年代にはマカオでバカラやブラックジャックのテーブルにも立っていました。
2000年代に入ってからはオンラインカジノを知って、「家にいながら回す時代か」と、少し驚いたのを覚えています。
よく「初心者がやりがちなミス」みたいな記事を見かけますよね。読むたびに、ちょっとだけ笑ってしまうんです。
別に内容が間違ってるわけじゃない。ただ、書いてる人が「自分がどうやって失敗してきたか」を、もう忘れてることが多いなと。
私は、残念ながら忘れていません。
むしろ同じこと、何十年も繰り返しました。
今日はその話です。教科書みたいな禁止事項ではなくて、単なる自分の記録です。

正直に言うと、「リスク」って言葉の意味をちゃんと理解する前に、私は麻雀を覚えていました。
場所は別に特別じゃないんです。カジノでもなければ、派手な場所でもない。ただの小さな部屋。煙草の煙が少しこもっていて、湯のみのお茶があって、ときどき誰かが日本酒を差し出してくる。そんな空間でした。
卓の上の牌よりも、むしろ人の顔を見ている時間のほうが長かった気がします。
あれは1970年代の大阪や神戸の話。まだ若くて、後に機械式パチンコにハマる前の頃です。
今思えば、あの頃の麻雀って「遊び」というより、ちょっとした人間観察のトレーニングみたいなものだったんですよね。
で、そこで最初に学んだこと。しかも一番大事なこと。
これ、ルールブックには載っていません。初心者講座でもまず出てこないです。カジノなんて、なおさら教えてくれません。